おはよりいでございます。
これまで、家業4代目として養鶏に携わってきたと言ってきましたが、History にも名前のある一柳為七さんについては、当然私の記憶がない中で、父親の情報をもとに系譜を記してきましたが、先だって祖父の忠義さんのご兄弟の娘さん(父親のいとこ)が持っていた写真を、ご近所に住んでいる父親の妹さんが焼き増ししてくださいました。
これまで、為七さんが養鶏を営んでいた記録がありませんでしたが、「一柳養」まで見えていますので、「一柳養鶏場」が存在していたことに嬉しさと誇りを感じています。ちなみに左から2番目の軍服姿が忠義さん。肺の持病?があって戦地にはいかなかったそうです。
またこの建物は、越谷市宮前の久伊豆神社近くにあった自宅兼事務所で、今では神社内の公園になっていますが、実は私自身が、中学校1年から2年の間は家族でここに住んでいました。
改めて為七さんの情報を整理すると、History には昭和13年に『埼玉県越谷市に転居して養鶏を始める』となっていますが、越谷で養鶏を初めた同じ年の45歳でお亡くなりになり、そのあとは奥さんのリノさんが全体を仕切りながら、兄弟姉妹で農場を分け合って経営していたようです。ちなみにリノさんは昭和26年の59歳でお亡くなりになっています。
特にこのあたりについては、また聞きの、また聞きの、また聞きなので、今度改めて時間を作って聞き取り調査をしようと思います。
それにしても。
日本人離れした顔立ちも。
ちゃんと引き継いでいるようです。